2008年06月26日
「孤独」と「孤高」
人はどういう時に『孤独』を感じるだろうか?
地球上に、最初からたった一人しかいないとしたら
その人は『孤独』を感じるだろうか?
『孤独』とは、たくさんの人達の中で『孤立』することで
感じる感情だと思う。
地球上に、最初からたった一人しかいないとしたら
その人は『孤独』を感じるだろうか?
『孤独』とは、たくさんの人達の中で『孤立』することで
感じる感情だと思う。
『孤独』を感じてる時に出てくる感情。
「寂しい」
「切ない」
「焦燥感」
「絶望」
「誰もわかってくれない」…。
どれも「人」が介在するからこそ出てくる思いだ。
私達の人生は人からの影響を圧倒的に受けている。
「孤独」であるがゆえに、その感情を味わい、
自分を見つめる時間にすることは悪くない。
「孤高」な生き方をしてる人は、
たった一人のように見えて、決して一人ではない。
「自分」という大親友と常にコミュニケーションを
取っている。
先日、ニュースの中の街頭インタビューで若い子達の
イマドキの声を聞いた。
彼らの中には携帯に100件くらい、誰かの連絡先が
埋まってないと不安になるらしい。
それほどに「独り」になることを怖れているのか。
そのメール上での友達、いわゆる「メル友」達とは
メールを介してのみのコミュニケーションで
ほとんどが会ったことも、顔も知らない人だという。
レポーターの
「メル友とは会わないの?」
との問いに
むしろ「会いたくない」という思いをこぼしていた。
「メールの印象と違う人だったら嫌だ」
「直接、会話する自信がない」
「会って関係が壊れるのが怖い」
ゲームのようにリセットが効かないものに対して
自分から行動起こしてまで、
人と「本気」で
関わることに抵抗を感じてる子ども達。。。
人に埋もれた現代社会で「孤独」を避ける為の
道具としてならば、それこそ「メル友」は
「寂しい」気持ちを紛らわし、自分の存在を
確かめる為の「ツール」になってしまわないか。
先日、その「ツール」からも見放された男が秋葉原で
凶行に及んだ。
「孤独」を「孤高」に変えることが出来たなら…
自分の存在価値を見つめ、「自分」を尊厳できたら…
誰かから「大切な存在」だと、認めてもらえていたら…
過ちを犯さずに済んだかもしれない。
「寂しい」
「切ない」
「焦燥感」
「絶望」
「誰もわかってくれない」…。
どれも「人」が介在するからこそ出てくる思いだ。
私達の人生は人からの影響を圧倒的に受けている。
「孤独」であるがゆえに、その感情を味わい、
自分を見つめる時間にすることは悪くない。
「孤高」な生き方をしてる人は、
たった一人のように見えて、決して一人ではない。
「自分」という大親友と常にコミュニケーションを
取っている。
先日、ニュースの中の街頭インタビューで若い子達の
イマドキの声を聞いた。
彼らの中には携帯に100件くらい、誰かの連絡先が
埋まってないと不安になるらしい。
それほどに「独り」になることを怖れているのか。
そのメール上での友達、いわゆる「メル友」達とは
メールを介してのみのコミュニケーションで
ほとんどが会ったことも、顔も知らない人だという。
レポーターの
「メル友とは会わないの?」
との問いに
むしろ「会いたくない」という思いをこぼしていた。
「メールの印象と違う人だったら嫌だ」
「直接、会話する自信がない」
「会って関係が壊れるのが怖い」
ゲームのようにリセットが効かないものに対して
自分から行動起こしてまで、
人と「本気」で
関わることに抵抗を感じてる子ども達。。。
人に埋もれた現代社会で「孤独」を避ける為の
道具としてならば、それこそ「メル友」は
「寂しい」気持ちを紛らわし、自分の存在を
確かめる為の「ツール」になってしまわないか。
先日、その「ツール」からも見放された男が秋葉原で
凶行に及んだ。
「孤独」を「孤高」に変えることが出来たなら…
自分の存在価値を見つめ、「自分」を尊厳できたら…
誰かから「大切な存在」だと、認めてもらえていたら…
過ちを犯さずに済んだかもしれない。
Posted by とよだ まき at 11:55│Comments(0)
│コーチング